経営理念
私たちは食の 安心 安全 おいしさ を提供します
お客様の笑顔を カタチ に
やおふくの社内における取り組み
地元で育った企業だからこそわかる
地域ニーズがあります!
東信地区の交通の要衝、上田市は大手ナショナルチェーン、地元スーパー、小売店がひしめく商業の激戦地。上田に生まれ育ったやおふくは街の八百屋として創業以来、大手スーパーの進出にもかかわらず食料品販売を中心とした地元資本で独立系スーパーマーケットの道を着実に歩み続けています。
創業以来100余年にわたり、生鮮食料品の鮮度・味・品揃え・お値打ち 価格を 追求し、地域の食生活に密着してお客様のニーズにお応えする営業を展開してきました。
当社の社是でもある[地域のより豊かな暮らしに貢献する]事と、地域社会の食を担う事にやり甲斐と生き甲斐を感じながら、社員全員が心をひとつに日々真心を込めたサービスの提供を心掛けております。
これまでも、これからも
地域密着の愛されるお店に。
株式会社やおふく
相談役 清水金二
やおふくの創業は大正8年とさかのぼりますが、昭和47年にやおふく海野町店が開店して株式会社やおふくが設立されるまでの間は海野町通りの中ほどの辻に、やおふくの旧店舗がありました。(馬場町から昭和35年に海野町へ出店した八百福商店)昭和37年から始めた当時としてはめずらしいセルフサービススタイルの販売は、現在のスーパーマーケットの先駆けでもありました。
それを信州上田の片田舎で取り入れた、私の叔父であり(株)やおふくの設立者でもある先代の会長、故清水茂一郎は機敏に時流を読み取ることができたのでしょうか、毎日多くのお客様にこ来店頂いたと記憶しております。その頃のやおふくは家族・親類ぐるみでの商いで、叔父の妹にあたる私の母親も店番をしながら、幼少期だった私の面倒を店頭で見ておりました。店頭の野菜や果物と並んでチョコンと座らされていた私は、お客さんに「おーい。この赤ん坊も売り物かーい?」と冷やかされたものだと母親から聞かされました。
まだ日本が今ほど豊かでない高度成長期、みんな毎日懸命に働いていた、そんな売場の様子を幼かった私も肌身で感じたものです。本格的スーパーマーケットになったやおふく一号店、海野町店があった当時は、現在も続いている上田の市民祭・上田祇園祭や上田わっしょいに、やおふく連として従業員が総出でおみこしを繰り出したり、従業員有志で組織されたやおふく太鼓連が威勢の良い、たいこの演奏をして祭りの盛りたてる一助を担いました。
海野町七夕祭りには従業員が手作りで作成した七夕飾りを、海野町店店頭に飾り付けをして多くの皆様に楽しんでいただいたことも、今では懐かしい思い出の一コマです。これまでも、これからも地域密着の愛されるスーパーとして精進してまいります。
やおふく海野町店創生期店頭写真
(2階にはレストラン部もありました)
やおふく海野町店創生期店内
清水金二相談役幼少期
やおふくみこし連
会社概要
- 商号
- 株式会社やおふく
- 創業
- 大正8年
- 設立
- 昭和47年5月
- 資本金
- 2,000万円
- 本社所在地
- 〒386-0012 長野県上田市中央5丁目1−3
TEL:0268(24)3300/FAX:050(3541)1187 - 代表者
- 代表取締役社長 清水桂ニ
- 従業員数
- 240名(男子81・女子159)
- 事業内容
- スーパーマーケット(現在、上田市内に3店舗・東御市に1店舗を展開)
沿革
- 大正8年5月
- 上田市に食料品店創業
- 昭和22年5月
- 合資会社八百福商店設立
- 昭和37年5月
- 全国に先駆け、セルフサービス方式に切り替える
- 昭和47年5月
- 総合食品スーパーマーケットにして株式会社やおふく設立
- 昭和50年5月
- 秋和店開店(活気ある市場型のパレット販売店舗)
- 平成元年11月
- 塩田店開店(200坪の地域密着型店舗)
- 平成10年9月
- レッツ古里ショッピングタウン・古里店開店
- 平成12年12月
- 東部町店(現東御店)開店